0258学-まなぶ
筆者:miki 
2010年11月15日 1時42分
「さよならの向う側」作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 歌:山口百恵
ツッパリタレントの淵源を1978年「プレイバックPart2」を歌った山口百恵だとするのが定説だとしても、山口百恵は特にツッパリの看板を掲げていたわけではありませんでした。彼女の引退後に流行したなめ猫やツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)の横浜銀蝿に代表されるツッパリブームへしごく自然につながっていくものと当時は思っていたのですが、今にしてみると山口百恵には一線を画した品格がありました。その後の身の処し方を見るにつけ、彼女の姿勢にはスジを貫き通すいちずさが現れていたように思います。
山口百恵というスターを強烈に印象付けたのはシングル5枚目「ひと夏の経験」(1974年)で、セカンドシングルから前面に押し出してきた「恋人に身も心もささげる少女」の気持ちの総仕上げの曲。ぼくはこの曲のインパクトが強くてぼくのイメージは引退に直結してしまうのですけれど、実際はこの曲から次第に「自らの幸薄いさだめに耐え抜く芯の強い」女性のイメージを打ち出していったってところでしょうか。彼女が出演したテレビドラマ大ヒット番組「赤いシリーズ」とのタイアップということもあったのかな。
山口百恵がもう一皮むけたのはシングル13曲目の「横須賀ストーリー」(1976年)を歌いだした頃から引退まででしょうか。この曲から阿木燿子と宇崎竜童のコンビによる楽曲提供が山口百恵の世界を広げました。しかも、このコンビの他から提供を受けた数少ない曲「秋桜」(さだまさし1977年)「いい日旅立ち」(谷村新司1978年)もヒット。
阿木耀子と宇崎竜童の曲が山口百恵のツッパリというイメージに一役買ったとしても、よくよく考えればこの時期こそ山口百恵の歌手として最も脂の乗り切った多産なときでした。これまでの歌ってきたアイドルの歌謡曲から、「いい日旅立ち」のような脱アイドルの曲を歌うようになりました。また「プレイバックPart2」や「ロックンロールウィドー」に表れるロック調もこの時代のもう一つの特色ですね。
最近CMでもカバー曲が流された「さようならの向こう側」は彼女の歌手生活をしめるラストソング。ファンを別れる恋人にたとえ、謝辞を表すという形をとっています。
「何億光年輝く星にも寿命があると教えてくれたのはあなたでした。季節ごとに咲く一輪の花に無限の命知らせてくれたのもあなたでした。last song for you。last song for you。約束なしのお別れです」と歌いだしたとき、彼女こそ伝説の始まりを切って落としたわけです。何とまあ、宇宙規模の大げさなフレーズですけれど、彼女が歌うからこそ説得力がありましたね。
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