0258学-まなぶ -> 雑学
筆者:miki 
2013年1月19日 16時56分
振袖火事をご存知の方は多いかもしれません。一昔前の学校の図書室に必ずあった怖い本の代表、怪談の小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが取り上げているからです。
振袖火事は明暦の大火のこと。小泉八雲が注目しているくらいですから、出火原因には摩訶不思議な因縁話がまとわりついています。
火事は今から356年前の1657年明暦3年1月18日19日の出来事。といっても旧暦のことなので現在の季節とずれるのですが。
平凡社の世界大百科事典からその経過と概要をかいつまむと以下のとおり。
18日昼過ぎ本郷丸山町本妙寺から出火、19日朝8時までに日本橋、深川、本所へ延焼。19日の12時頃小石川鷹匠町(伝通院前)から出火、駒込から北東、また南方の芝へ。19日の夜麹町より出火、南東方面へ新橋まで延焼。火元は以上の3箇所。
被害は甚大。江戸城は西丸を除き消失、大名屋敷500、旗本屋敷770、寺社300、蔵9000余、江戸の市街地のほぼ全域を消失。死者は107046人、後死者の冥福を祈念するために同年回向院を両国に建立。
明暦に起きたので明暦の大火。これが振袖火事と呼ばれるいわれは、明暦1年1655年1月16日に16歳で病死した娘の紫ちりめんの振袖が古着屋をとおして別の少女に渡ると、この少女も明暦2年1月16日に16歳で病死。同様にこの振袖を手にした別の少女も奇しくも明暦3年1月16日に16歳で病死。
ただならぬ因縁を感じた関係者はその年1月18日にいわくつきの振袖を最初の娘の菩提寺本妙寺で回向後、焼却しようと火中に投じたところ、折からの強風に振袖は火のついたまま舞い上がり、これが火元の原因となったという。(少女の名前や年齢、死亡日時等は資料によって若干異なるようです)本妙寺出火の背景にはこのようないきさつがあったため振袖火事ともよばれるようになったというもの。
根が純真な(人はばかと呼ぶらしいですが)私は火元が本妙寺であることも因縁めいた話の方も頭から信じていたのですけれど、実はそうででないことを恥ずかしながらごく最近知りました。
詳細はWikipediaの明暦の大火の項目と、ここからリンクされている本妙寺のホームページにアクセスするとわかります。
「なるほど、そういうことだったのか」です。私みたいな単細胞は簡単に騙されるわけですね。もっともまだ騙されているのかな。ちょっと疑心暗鬼です。
振袖火事は明暦の大火のこと。小泉八雲が注目しているくらいですから、出火原因には摩訶不思議な因縁話がまとわりついています。
火事は今から356年前の1657年明暦3年1月18日19日の出来事。といっても旧暦のことなので現在の季節とずれるのですが。
平凡社の世界大百科事典からその経過と概要をかいつまむと以下のとおり。
18日昼過ぎ本郷丸山町本妙寺から出火、19日朝8時までに日本橋、深川、本所へ延焼。19日の12時頃小石川鷹匠町(伝通院前)から出火、駒込から北東、また南方の芝へ。19日の夜麹町より出火、南東方面へ新橋まで延焼。火元は以上の3箇所。
被害は甚大。江戸城は西丸を除き消失、大名屋敷500、旗本屋敷770、寺社300、蔵9000余、江戸の市街地のほぼ全域を消失。死者は107046人、後死者の冥福を祈念するために同年回向院を両国に建立。
明暦に起きたので明暦の大火。これが振袖火事と呼ばれるいわれは、明暦1年1655年1月16日に16歳で病死した娘の紫ちりめんの振袖が古着屋をとおして別の少女に渡ると、この少女も明暦2年1月16日に16歳で病死。同様にこの振袖を手にした別の少女も奇しくも明暦3年1月16日に16歳で病死。
ただならぬ因縁を感じた関係者はその年1月18日にいわくつきの振袖を最初の娘の菩提寺本妙寺で回向後、焼却しようと火中に投じたところ、折からの強風に振袖は火のついたまま舞い上がり、これが火元の原因となったという。(少女の名前や年齢、死亡日時等は資料によって若干異なるようです)本妙寺出火の背景にはこのようないきさつがあったため振袖火事ともよばれるようになったというもの。
根が純真な(人はばかと呼ぶらしいですが)私は火元が本妙寺であることも因縁めいた話の方も頭から信じていたのですけれど、実はそうででないことを恥ずかしながらごく最近知りました。
詳細はWikipediaの明暦の大火の項目と、ここからリンクされている本妙寺のホームページにアクセスするとわかります。
「なるほど、そういうことだったのか」です。私みたいな単細胞は簡単に騙されるわけですね。もっともまだ騙されているのかな。ちょっと疑心暗鬼です。








