0258学-まなぶ -> 雑学
筆者:miki 
2012年9月9日 22時05分
「あなた」(1974年)
「あなた」作詞・作曲・歌:小坂明子
一発屋なる言葉があって、一発でも当てたい人間にとって憧れの呪文でさえあるのに、えてして嫉妬がらみの揶揄とも成り下がる。様々なジャンルで一発を夢見るツワモノどもがひしめき、なかでもポピュラーミュージックの世界は断トツ。作詞・作曲・歌をこなせる才能が時代にマッチしていれば、ミリオンセラーにしてミリオネラーの夢も手の届く範囲内。もちろん、言うは易く行うは難し。
一発屋で連想するのはポプコンことヤマハが主催したポピュラーソングコンテスト。当時プロデビューが約束されていたコンテストが少なかったせいか、この音楽大会の参加者の顔ぶれは後のスターがきらぼしのごとくひしめく。もっとも、グランプリを獲得した優勝者よりも、当時必ずしも評価の高くなかった入賞程度の歌手の一群に多いのは、このコンテストの性格がうかがえて興味深い。グランプリ曲はたいていがそこそこのヒットをした?(なんでこんな曲がってなものもありましたし、ポプコンのグランプリ曲は上位大会「世界歌謡祭」グランプリでさらに箔の上塗りをするのもほぼお約束でしたね)もののその後が続かないことも多く、失礼な言い方をすれば、一発屋乱造コンテストでした。
もっとも「一発屋」の皆さんは強烈な個性と才能の持ち主。あくまでも自分のリアルな表現にこだわり、ソフィスティケイテドとコマーシャル化を嫌っていたようです。メジャーな方向へ舵をとらなくても、それぞれがひとかどの活動をされているようです。「夢想花」で第16回のポプコンでグランプリ、さらに第9回世界歌謡祭でグランプリの円広志さんのその後の活躍は周知のところですね。
1974年に200万枚のヒットをした小坂明子作詞・作曲・歌の「あなた」はポプコン史上突出したセールス。いわゆる、社会現象と化し、この歌の「マイホーム主義」とも見える歌詞にいちゃもんをつける批評家もあったように記憶しています。故赤塚不二夫さんもこの歌をネタにして作品をものしていましたっけ。
2012年現在いまだ終息の見えない福島の原子力災害を経験している私たちにとって、この「あなた」に描かれていた確実に見えたささやかな幸せのなんとも不確実で、日を追うごとにぼくたちの手から届かなくなりつつあることを思い知らされます。
おそらく今現在は、明治維新や太平洋戦争前夜に次ぐかそれ以上の転換期でありながら、草莽の志士や憂国の徒が血気にはやり声高に叫びまわった頃に較べると緊張の糸が緩みに緩んでいるのでしょうが、それでも今のほうがはるかにましだし、居心地の良さを実感します。
「あなた」作詞・作曲・歌:小坂明子
一発屋なる言葉があって、一発でも当てたい人間にとって憧れの呪文でさえあるのに、えてして嫉妬がらみの揶揄とも成り下がる。様々なジャンルで一発を夢見るツワモノどもがひしめき、なかでもポピュラーミュージックの世界は断トツ。作詞・作曲・歌をこなせる才能が時代にマッチしていれば、ミリオンセラーにしてミリオネラーの夢も手の届く範囲内。もちろん、言うは易く行うは難し。
一発屋で連想するのはポプコンことヤマハが主催したポピュラーソングコンテスト。当時プロデビューが約束されていたコンテストが少なかったせいか、この音楽大会の参加者の顔ぶれは後のスターがきらぼしのごとくひしめく。もっとも、グランプリを獲得した優勝者よりも、当時必ずしも評価の高くなかった入賞程度の歌手の一群に多いのは、このコンテストの性格がうかがえて興味深い。グランプリ曲はたいていがそこそこのヒットをした?(なんでこんな曲がってなものもありましたし、ポプコンのグランプリ曲は上位大会「世界歌謡祭」グランプリでさらに箔の上塗りをするのもほぼお約束でしたね)もののその後が続かないことも多く、失礼な言い方をすれば、一発屋乱造コンテストでした。
もっとも「一発屋」の皆さんは強烈な個性と才能の持ち主。あくまでも自分のリアルな表現にこだわり、ソフィスティケイテドとコマーシャル化を嫌っていたようです。メジャーな方向へ舵をとらなくても、それぞれがひとかどの活動をされているようです。「夢想花」で第16回のポプコンでグランプリ、さらに第9回世界歌謡祭でグランプリの円広志さんのその後の活躍は周知のところですね。
1974年に200万枚のヒットをした小坂明子作詞・作曲・歌の「あなた」はポプコン史上突出したセールス。いわゆる、社会現象と化し、この歌の「マイホーム主義」とも見える歌詞にいちゃもんをつける批評家もあったように記憶しています。故赤塚不二夫さんもこの歌をネタにして作品をものしていましたっけ。
2012年現在いまだ終息の見えない福島の原子力災害を経験している私たちにとって、この「あなた」に描かれていた確実に見えたささやかな幸せのなんとも不確実で、日を追うごとにぼくたちの手から届かなくなりつつあることを思い知らされます。
おそらく今現在は、明治維新や太平洋戦争前夜に次ぐかそれ以上の転換期でありながら、草莽の志士や憂国の徒が血気にはやり声高に叫びまわった頃に較べると緊張の糸が緩みに緩んでいるのでしょうが、それでも今のほうがはるかにましだし、居心地の良さを実感します。









