0258学-まなぶ -> 雑学
筆者:miki 
2008年9月15日 22時05分
「嘆きのボイン」作詞・作曲・歌月亭可朝
月亭可朝さんのニュースを見て、いろいろ思うことがあります。常識的な見方からすれば、決してほめられることではありませんが、それでもこうした人たちの破天荒な生き様は当然だと思いもしますし、どこかうらやましい気にもなります。もちろん、外野で高みの見物の無責任な放言であるのはじゅうぶん承知しているつもりなのですが。
これ以後は月亭可朝さんの件とは別。まったくぼくの暴言であることを前もって断っておきます。
古の哲人がいみじくものたまわった「恋愛とは聖なる狂気である」が示しているように、恋に落ちた人は平常心ではいられなくて当たり前。昔はずっと寛容であった気がします。
もっとも、社会的立場にしろ、経済力しろ、断然男にとって有利だったので、女性は従わざるをえないこともあり、角が立たなかったんでしょう。昨今では女性の地位も経済力も男に並び、追い越すことも稀でなくなり、トラブルが起きるのは必然的なんでしょうね。
現代でもまれに圧倒的な地位と財産の男性が、弱い立場の女性をあの手この手で迫りまくり、ついに陥落させたなんてことが起きた場合、いまでもマスコミは思考停止的に「シンデレラガール」のレッテルを貼りつけ、金と地位に付け込んでいる男を持ち上げそうな気がしますね。
まあ、ぼくは財産なし、地位もなし、おまけに中身もないときてますから、悲しいくらい艶めいた話とは無縁なんですが、今回の月亭可朝さんの件から勝手にあれこれ夢想してしまいました。
月亭可朝さんが今回の事件の謝罪会見の席で、自らの「嘆きのボイン」の節で、謝罪コメントを歌い上げたというニュースが流れました。「嘆きのボイン」懐かしいですね。ボインはぼくにとって、巨乳や爆乳よりも身近だし、ほのぼのした気分になりますね。おっぱいって言葉もいいですね。
「嘆きのボイン」をいつ聴いたのか定かではありません。テレビだったか、ラジオだったかすらおぼえていませんが、「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ~♪おとうちゃんのもんとちがうのんやでぇ~♪」のっけのフレーズは流行歌になったのも納得させられる印象の強いものでした。
ぼくはこの曲をリアルタイムでは経験していません。はじめて聞いた時、最後のボインに見せるためのパットが満員電車の混雑のなかで移動してしまうことをユーモラスに歌う一連の歌詞の「これがホンマにちち帰るでおまへんか」が、有名小説の題名をもじっているのがすぐ分かったのは、この小説家のことを中学校で習っていたからです。そうだとすると、ぼくとしてはこの歌が発売された頃よりは約6年遅れて知ったことになりますね。








