0258学-まなぶ -> 雑学
筆者:管理人 
2008年7月31日 21時04分
準備ができた桟敷席
演歌の大御所サブちゃんことき北島三郎さんが歌う「大花火音頭」をいやというほど聞いたのは、花火の場所取りをした時でした。
その頃は各地で花火をやっているせいもあって、長岡の花火なぞさして珍しくもなくなったせいもあるのでしょうか、思ったほど場所取りは大変ではありませんでした。それでも、無料の一般席は良い場所から埋まってゆくので、なるたけ早めにいって並ぶ必要がありました。
解放時間は当日の昼からなので、ちょっと早めにいけばわりと思った通りの場所を確保できました。ただ、単に場所取りの囲いをしたりやシートを敷いただけでは、定期に巡回する見回りに撤去されてしまうので、必ず誰かが番をしていなければならないことに決まっていました。
目当ての場所にダッシュし、場所取りのシートを広げる役目にはそれ相応の人員が必要でしたが、それが終わると、差し入れの一ダースあまりの缶ビールとつまみ夕方まで一人場所取りの任を託せられました。
川べりといっても、真夏の日がかんかんに照りつけるのですから、その暑いことといったらありません。ブルーシートの照り返しがひどく、蒸し風呂のようでした。そのぶん、差し入れの缶ビールのうまかったこと。ふと気付くと、妙に心に引っ掛かるフレーズがスピーカーから、流れているのです。
「どうしょいの~ォ♪どうしょいのの~ォ♪ど~うしょい~の~ォ~♪」
カンカン照りの中、真昼間にぐでぐでに酔っ払っている。さしあたってやることもない。目の前の信濃川は昼だろうが夜だろうが構うことなくとうとうと流れている。そして、例のフレーズが流れてくると、いつしかデジャブというか、夢の中でまた夢を見ているというか、物悲しいような、懐かしいような不思議な気持ちになりました。
このリフレインが印象的な「長岡大花火音頭」は昭和45年に長岡市観光協会が公募したものです。この経緯については、長岡市メールマガジン 米百俵メール第37号(2004/08/01)「市政だよりでながおか再発見」が詳しく伝えてくれています。その中から孫引きですが、昭和45年の市政だよりを引用します。
【「長岡大花火音頭」歌詞決まる】(昭和45年11月1日発行号)
長岡市観光協会が、日本一の大花火をうたった「長岡大花火音頭」の歌詞を募集しましが、二七五点の応募があり、詩人の深尾須磨子さんが慎重に審査した結果富永久男氏の作品が入賞しました。
恒例の八月二日、三日の日本一の大花火大会は三十号をはじめ、ナイヤガラ、ベスビアスなど名実ともに、日本一を誇る大花火絵巻が繰り広げられます。
この長岡市民の心意気と明るく住みよい躍進する長岡をおりこみ、気軽に口ずさめる内容の音頭を去る八月、募集しましたところ市内から一三五点県内から九四点、全国から四六点、あわせて二七五点の多きに達しました。
たくさんの作品を寄せていただいき誠にありがとうございました。
入選作は作曲・島津伸男、歌・北島三郎で、今月末ごろレコード(裏面・長岡甚句)を発売、十二月二十三日に発表会を予定しております。
◇入 選 富永久男
◇準入選 一名
◇佳 作 五名
「長岡大花火音頭」 富永久男作詞 深尾須磨子補作
ハアー
男度胸の三尺玉が、
ドンとはじける長岡花火
受けて情けの七色十色
ちょいとね
スターマインの乱れ咲き
ドンドン ドドン ドンドドン
おみしゃんがつけた火がはしる
ああどうしょういの どうしょいの どうしょいの
ハアー
栄え長岡長生橋に
日本花火のほまれをかけて
ドンと光りのナイアガラ
ちょいとね
水も光りの信濃川
(以下同じ)
ハアー
越後平野の大空かけて
花火はじける音頭ははずむ
はずむ音頭にわきたつおどり
ちょいとね
花火長岡世界一
(以下同じ)
(これで孫引き終わり)
ということで、これは公募作品だったんですね。この「長岡大花火音頭」を話題にしているホームページは、知る人ぞ知るNGことナガオカグレートの『安吉の名にかけて!特別篇・大花火音頭スペシャル』がお勧めです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kew/NGyasukichiSP1.html
それにしても、あのフレーズ、ちーっとも景気が良くないところが、まったくもってユニークというか、当時の審査員の英断を感じますね。








