0258学-まなぶ -> 雑学
筆者:miki 
2008年7月14日 22時45分
ぼくは旧栃尾市半蔵金の生まれです。在校中に100周年を祝った小学校はとっくに廃校になってしまいました。
その頃ぼくらの学年が一番人数が多く、といっても、25人ほど。もちろん一クラス。保育園からずっと一緒の仲間でした。子どもの人数は下の学年から急に減少し、20人を切っていたと記憶しています。複式学級になったのは3学年か4学年下の学級でした。
小学校の高学年になると、田代の子供たちがぼくたちの学校に春から秋の間一緒に勉強することになり、新しく加わりました。男女半々の6名。それぞれ自己紹介で強烈に覚えているのが、「『ナオミの夢』を全部歌えます」と歌った男子児童でした。
「ナオミの夢」はイスラエル出身のヘドバとダビデが日本語で歌ったちょっと変わった曲で、第1回東京国際歌謡音楽祭グランプリ受賞曲でもありました。この東京国際歌謡音楽祭は翌年世界音楽祭と名を改め1989年まで開催されます。
ただこの歌謡祭、どうもぼくとしては今一つでした。これはぼくの偏見にすぎないのですが、ヤマハのヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)のグランプリ曲が世界歌謡祭でもグランプリ曲に自動的に受賞する(もちろんぼくの偏見ですが)出来合いレースに思えてならなかったからです。
ぼく自身はポプコンの応募曲で構成されていたラジオ番組、コッキーポップの熱心なリスナーでしたし、好きな曲はいっぱいありましたが、それでも、そうした曲がたとえグランプリをとったとしても世界で通用するとは到底思えませんでしたから。
とはいっても、そこはグランプリ曲、世界ではどうか知りませんが、日本国内ではけっこうヒットした曲が多いです、円広志「夢想花」なんてのもありますしね。この「ナオミの夢」もそこそこ流行っていたようです。








