0258住-すまう -> 住めば都
筆者:ケサジロー 
2006年8月28日 19時56分
10年以上前、長岡に住んで2,3年経った頃に、ふとしたきっかけで、栃尾鉄道の線路跡を見つけました。
栃尾鉄道の存在自体は長岡に親戚がいた母から聞いて知っていたので、見つけたときは「おぉー、これがそうか!」という感じでなかなか感動的でした。
たしか最初に発見したのは上北谷駅跡の駐輪場とそこから上見附駅側に延びるサイクリングロードだったと記憶しています。
その後、何度か線路跡を栃尾から悠久山まで探して車を走らせたことがあります。
途中、線路跡近くの畑で農作業中のおばあちゃんに当時の話を聞いたりしたこともありました。
長岡市内の新保近辺は比較的よく通るので、かつての線路跡に建物が建ったりして当時の面影が消えているのは知っていますが、栃尾から見附のあたりは最近行ってないので久しぶりに見てきました。
栃尾から楡原の間、今は道路になっているところの合流点には建物が建っていました。
栃尾側から楡原トンネルを抜けてT字路のところ、カーブの内側に不自然に歩道が通っているのが線路跡でしょうか。
上北谷の駐輪場跡は10年以上前に見つけたときとあまり変化がないようです。
そこから太田-上見附では、刈谷田川に架かっていた鉄橋跡が歩行者/自転車専用の橋として再利用されていました。
以前は閉鎖されたままになっていたと記憶しています。
名木野駅の跡はずっと架柱の根元やホームの跡が残っていたのが、橋に続く道路に変わっていて、当時の面影はありませんでしたが、近くの用水路に辛うじて線路の跡が残っていました。
名木野から耳取への間もところどころ住宅が建っています。
椿沢-浦瀬は浦瀬駅跡がコンビニになった以外は変わりないでしょうか。
田んぼの真ん中の宮下駅跡というのが今でも謎のままなのですが、いつの間にかR352に抜ける道が出来ていたので、以前は見られなかった田んぼの真ん中の線路跡も今回は見ることができました。
長岡に住んでいる頃だったら自転車でたどることができたのでしょうが、いつでも行けると思っているうちに長岡を離れることになってしまいました。
自転車だと小回りが利いてたどりやすかっただろうに、と思うと残念です。
機会があったら車に自転車を積んでまた行ってみたいものです。
栃尾鉄道の存在自体は長岡に親戚がいた母から聞いて知っていたので、見つけたときは「おぉー、これがそうか!」という感じでなかなか感動的でした。
たしか最初に発見したのは上北谷駅跡の駐輪場とそこから上見附駅側に延びるサイクリングロードだったと記憶しています。
その後、何度か線路跡を栃尾から悠久山まで探して車を走らせたことがあります。
途中、線路跡近くの畑で農作業中のおばあちゃんに当時の話を聞いたりしたこともありました。
長岡市内の新保近辺は比較的よく通るので、かつての線路跡に建物が建ったりして当時の面影が消えているのは知っていますが、栃尾から見附のあたりは最近行ってないので久しぶりに見てきました。
栃尾から楡原の間、今は道路になっているところの合流点には建物が建っていました。
栃尾側から楡原トンネルを抜けてT字路のところ、カーブの内側に不自然に歩道が通っているのが線路跡でしょうか。
上北谷の駐輪場跡は10年以上前に見つけたときとあまり変化がないようです。
そこから太田-上見附では、刈谷田川に架かっていた鉄橋跡が歩行者/自転車専用の橋として再利用されていました。
以前は閉鎖されたままになっていたと記憶しています。
名木野駅の跡はずっと架柱の根元やホームの跡が残っていたのが、橋に続く道路に変わっていて、当時の面影はありませんでしたが、近くの用水路に辛うじて線路の跡が残っていました。
名木野から耳取への間もところどころ住宅が建っています。椿沢-浦瀬は浦瀬駅跡がコンビニになった以外は変わりないでしょうか。
田んぼの真ん中の宮下駅跡というのが今でも謎のままなのですが、いつの間にかR352に抜ける道が出来ていたので、以前は見られなかった田んぼの真ん中の線路跡も今回は見ることができました。
長岡に住んでいる頃だったら自転車でたどることができたのでしょうが、いつでも行けると思っているうちに長岡を離れることになってしまいました。
自転車だと小回りが利いてたどりやすかっただろうに、と思うと残念です。
機会があったら車に自転車を積んでまた行ってみたいものです。











