0258食-たべる -> その他
筆者:miki 
2006年7月31日 1時27分
「こつざけ」と読みます。魚の骨をこんがり焙り上げたところへ、間髪を入れず熱燗を注ぎ、魚のうまみと香ばしさを移した酒のことです。骨をごみにして捨てずに、おいしく活用しようとして生まれたのでしょう。たまたま酒に入れたら、思いの外うまかったのがきっかけでしょうか。発生のシチュエーションを考えるなら、廃物利用の安上がりな肴だったと言えそうですが、その後大いに発展し、今では贅沢な酒の飲み方となりました。
骨酒には淡白な魚、川魚が向いているようで、そのバリエーションも多いですね。海は魚に限定しなければ、鰭酒、甲羅酒、あるいはイカ徳利と変わりだねがあります。さらに珍しいところでは、わかめ酒・・・・、おっとこれは違いますね。
川魚の場合骨だけでなく、身を丸々使うことが多く、鮎、岩魚、カジカと清流を代表する魚が好まれます。現在ではどれも高級魚となりましたが、養殖で代用する手もあります。ただ骨酒にするには養殖ものだとあぶらがのりすぎているので、このあぶらをいかに抜くかが、うまい「骨酒」作りのカギになります。
知人が養殖物の鮎を使ったところ、注ぎ終えた熱燗の表面に人口餌によるとおぼしきあぶらが一面に広がり、その生臭さといったらひどいもので、飲めた代物ではなかったそうです。
鮎は外見だけですぐに天然か、養殖か見分けがつきます。これは天然鮎の岩に付いた藻をこそげて食べるという食性のため、どうしてもいかつい面構えにならざるを得ないからです。
ところでわがエリアの信濃川の天然鮎は30cmにも達します。残念ながら、めったに一般には出回りません。聞くところでは、信濃川の鮎は死してなお傲岸不遜の面魂を宿しているとか。
こんな鮎でつくる骨酒はそれこそ逸品になりそうですが、食通は、「カジカ酒こそ骨酒中の骨酒、骨酒の絶品だ」と主張します。確かに、「カジカのだしのつゆで食ったそうめんは格別だった」とか「カジカのお汁がうまかった」などという年配の方のお話から判断すれば、味わい豊かなだしがとれるのは間違いありませんし、ひょうきんな御面相のカジカの塩焼きも、素朴ながらはっきりした輪郭の風味を持っています。「グロテスクな顔ほど魚はうまい」という通説はこの場合にも当てはまりますね。
私の子供の頃カジカは身近な魚でした。川にはカジカとこれより一回りも二回りも大きいババカジカがいました。ババカジカのほうは少ないせいか、なかなか捕れません。カジカとババカジカと呼び分けていましたが、「別種なのかどうか」を尋ねられたら、自信を持って答えることはできません。
いずれにせよ、カジカも今ではめっきり少なくなり、絶滅危惧種にさえ指定されています。カジカに限らず、これまであって当たり前と思っていた自然の多くが、今や失われていこうとしています。とりきれないほどの独活やタラの芽の出た春の山も、真っ黒になるほどの魚影が動いた夏の川も、赤とんぼが覆い尽くすように飛んでいた秋の空も、記憶の中のだけになってしまったことに気づき、愕然とします。
今年の世界的な異常気象を目の当たりにすると、わたしたちが地球規模の環境破壊をやってしまったのだということが実感されます。そしてこのツケが今まさに人類に襲い掛かっているのでは・・・・。これこそ背筋の凍る現代の怪談と言えそうです。骨酒の名にふさわしい落ちになった?ようです。
骨酒には淡白な魚、川魚が向いているようで、そのバリエーションも多いですね。海は魚に限定しなければ、鰭酒、甲羅酒、あるいはイカ徳利と変わりだねがあります。さらに珍しいところでは、わかめ酒・・・・、おっとこれは違いますね。
川魚の場合骨だけでなく、身を丸々使うことが多く、鮎、岩魚、カジカと清流を代表する魚が好まれます。現在ではどれも高級魚となりましたが、養殖で代用する手もあります。ただ骨酒にするには養殖ものだとあぶらがのりすぎているので、このあぶらをいかに抜くかが、うまい「骨酒」作りのカギになります。
知人が養殖物の鮎を使ったところ、注ぎ終えた熱燗の表面に人口餌によるとおぼしきあぶらが一面に広がり、その生臭さといったらひどいもので、飲めた代物ではなかったそうです。
鮎は外見だけですぐに天然か、養殖か見分けがつきます。これは天然鮎の岩に付いた藻をこそげて食べるという食性のため、どうしてもいかつい面構えにならざるを得ないからです。
ところでわがエリアの信濃川の天然鮎は30cmにも達します。残念ながら、めったに一般には出回りません。聞くところでは、信濃川の鮎は死してなお傲岸不遜の面魂を宿しているとか。
こんな鮎でつくる骨酒はそれこそ逸品になりそうですが、食通は、「カジカ酒こそ骨酒中の骨酒、骨酒の絶品だ」と主張します。確かに、「カジカのだしのつゆで食ったそうめんは格別だった」とか「カジカのお汁がうまかった」などという年配の方のお話から判断すれば、味わい豊かなだしがとれるのは間違いありませんし、ひょうきんな御面相のカジカの塩焼きも、素朴ながらはっきりした輪郭の風味を持っています。「グロテスクな顔ほど魚はうまい」という通説はこの場合にも当てはまりますね。
私の子供の頃カジカは身近な魚でした。川にはカジカとこれより一回りも二回りも大きいババカジカがいました。ババカジカのほうは少ないせいか、なかなか捕れません。カジカとババカジカと呼び分けていましたが、「別種なのかどうか」を尋ねられたら、自信を持って答えることはできません。
いずれにせよ、カジカも今ではめっきり少なくなり、絶滅危惧種にさえ指定されています。カジカに限らず、これまであって当たり前と思っていた自然の多くが、今や失われていこうとしています。とりきれないほどの独活やタラの芽の出た春の山も、真っ黒になるほどの魚影が動いた夏の川も、赤とんぼが覆い尽くすように飛んでいた秋の空も、記憶の中のだけになってしまったことに気づき、愕然とします。
今年の世界的な異常気象を目の当たりにすると、わたしたちが地球規模の環境破壊をやってしまったのだということが実感されます。そしてこのツケが今まさに人類に襲い掛かっているのでは・・・・。これこそ背筋の凍る現代の怪談と言えそうです。骨酒の名にふさわしい落ちになった?ようです。









